さあ張った張った!損か得かの人間関係【2024年2月2週】

ちょっとやることが多すぎるので今日は手短に。
ものぐさがたたって返信しなければいけない要件を5件くらい未読無視している。参ったね。

 

人嫌いなのだが、人嫌いを出さないようにするのが上手いので人から連絡をいただける。
これ自体は申し訳ないくらいありがたいことだが、わざわざ時間を使って私とコミュニケーションを取ってくれる人にそれ相応にメリットがある返答をしなきゃいけない妄執に取り憑かれ、文章が書けない。


既読にしてからダラダラ返信を書くと既読無視だと思われてしまうので、結局未読無視が最も双方にとって都合がいい。
そうして未読無視して何年も放置した元友人がたくさんいる。繰り返す歴史。

 

人間関係を損得で考えすぎだと言われたことがある。
なんの得もない人間と一緒にいたところでお互い時間の無駄だし、だったら得な人間と新しく関係を築けるように尽力した方が良くない?
↑多分人としてあんま良くない、損得で考えたら人間と関わってる時間ってほぼ損なのでそのうち誰とも話さない引きこもりになる。


人間と関わる上で得の部分って、やはり自分にはない考えや体験を聞くことでしかないと個人的には思っている。
なので「今日何食べた」「天気の良し悪し」「職場の愚痴悪口」みたいな当たり障りのない会話を蛇蝎の如く嫌ってしまう。
その割に自分が有益な情報を出せることも近年は少なくなっているので、相手にメリットを与えられないと考えてしまう要因になっている。

 

自分でも友人や恋人、家族との会話ってそこまで気負う必要ないんだよな〜と分かっているのにやめられない。未読無視に帰結。

 

こういう陰険な損得至上主義者だが、面白いことを言うのは好きなので以前の職場ではムードメーカーみたいなポジションをしていた。
これは恐らく、職場という損得で量れない義務の人間関係で少しでも相手にメリットを与えるために「あの人は面白いことを言う人」だと思われたい気持ちがあったように考える。
難儀な性格だ、どうにか治せんのか21世紀だぞ。なんかスゲー電撃とか脳に流したらまともになるんじゃないのか?

 

考え方の矯正は自らに矯正の意思がなければどうにもできない。以前認知行動療法をやった時にそう言われた。
で、矯正の意思がないのでバックれた。また思考の坩堝に嵌っていく。


自分の暗さ陰険さ斜に構えた対人恐怖症をなんだかんだで自分のアイデンティティだと勘違いして数十年生きてきてしまったので、今更真っ当な人間になると自我の連続性が保たれないように思われて嫌だ。
自我に連続性など無いと常々考えているのに自己弁護のためなら思想も捨てる。これこそ連続性の無さ。

 

いつもこんなことを考えているうちに休日が終わる。
休日があっという間に終わるように、人間だって死んだら終わるので、思想家でもない無学な一般人がこんなことをしているのは人生の浪費だ。

 

まあ、浪費家だしね。大義のない誰でもできる仕事をしながら日銭を稼ぎ、こうして晩年を待つ。
史書でたった一言「市井の人々」と括られた中にも、こういうつまらない自問自答を繰り返すだけの言葉で残らない浅い考えを持つ人があったのだろうな。

 

想いを馳せても応えはない。自分の人生に関係もない。どうでもいい。

手短にと書いたのに結局いつもと変わらない文量になっていた。こういうことならいくらでも書いていられる。

 


正気に戻ったので今から返信をする、嫌だな〜。

 

片割れnote

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